まず金沢についての探求です。これは、いつもお世話になっている、金沢市のPRも兼ねています。
単身赴任の研究成果としてお付き合いいただければと思います。興味がわけば是非、金沢市、石川県に遊びに来てください。
本当に良いところです。私が歴史好きなので、また金沢市は歴史の宝庫なので探求のし甲斐がありました。
まず、金沢市は前田利家公が開祖となり、開いた藩で、加賀100万石、石川県と富山県がそれにあたります。
ご存じの様に、織田信長の家臣にあたり、槍の又左と言われた、戦国武将の一人です。豊臣秀吉とは盟友で、足軽時代には隣に住んでいたとの説があります。
槍一つで足軽から大大名まで上り詰めた人物です。2002年には大河ドラマとなり、書籍としてはその原作、竹山洋さん著、利家とまつ(新潮文庫)が詳しいです。
金沢市の図書館で借りて読みました。徳川幕府となってから、豊臣恩顧の大名、例えば加藤清正、福島正則らの大藩は改易となり継続できませんでしたが、加賀100万石は幕末まで約300年間生き残りました。
その陰には並々ならぬ幕府への従順があります。まず、筆頭家老に徳川家康の側近として名高い本多正信の次男正重を迎え、5万石を与え、幕府とのつながりを深め、藩に私信がないことを印象づけ、藩の存続に努めました。
今でも金沢市に加賀本多博物館がありその歴史をつたえています。また、徳川家との姻戚関係も積極的に結び、藩の安定に努めています。
そして、輪島塗、加賀友禅、九谷焼等の伝統工芸、地場産業育成に力を入れ、軍費に藩費を費やしていいないことを幕府にアピールしています。
今でもこの功績は、全国区の伝統産業、地場産業として引き継がれています。
トレビアの泉的な事としては、我が国の最高学府、東大の赤門は元加賀藩上屋敷の正門に当たります。現在の東京大学 本郷キャンパスはほぼ加賀藩上屋敷跡地に当たり、いかに江戸時代加賀藩が大きな勢力もっていたかが伺えます。
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