2回目からは 教訓として

石川県金沢市への2回目の赴任については、前回福井市での5年間の赴任生活が自信となり、単身赴任の長所と短所を熟知しており、1回目より心理的負担少なく赴任する事が出来ました。今回は単身赴任の強みを最大限に活用し、人生・仕事を大いに楽しんで生きたいと思います。

また、長男が高校1年生、双子の長女・次男が小学校6年生に成長した事が大きな余裕、安定につながっています。

1回目の赴任の時は前述しましたが子供がまだ小さく、こんな余裕と安定が得られるなんて夢にも思いませんでした。しかし、当たり前ですが子供は確実に成長するものであり、子供の成長を通して年月を重ねることがどれほど尊いことか学びました。

以上の経験を踏まえ私なりの考えを示します。自分の場合を例にとると、志をもち東京の大学に進学し全国各地に勤務し経験を重ねました。

自分としては北国・雪国の出身でありその反動として、太平洋側の雪の降らない大都市圏での勤務を特に若いうちは希望していました。

しかし、今まで勤務した地は新潟、長野、京都、福井、石川と今在住している京都を除き、北国・雪国ばかりです。特に若い年代の頃は会社に希望を毎年出しているにも関わらずこの様な勤務地になり、自分の出生を恨めしく思ったものでした。

しかし、単身赴任を経験し自分の納得のいく都市部での子育てと北国・雪国勤務を両立できた時、この悩みはほぼ解消する事が出来ました。

多くの本を読むことができこの問題にも示唆の富む内容を多く吸収する事が出来ました。

考えてみれば大都市圏での雇用は人が多く住む所であり、求人すれば人はすぐ集まります。しかし、地方では人口が減少し、求人しても人はなかなか集まりません。

また、北国・雪国を現代人は嫌う傾向にあり、雇用しても長く北国・雪国に勤務してくれる人材は少ないのが現状です。

この様な状況で自分の強みを成果に結び付ける事を考えると、北国・雪国に勤務経験が長く成果を継続して上げていく人材は貴重な存在として、企業としては重宝される傾向にあると思われます。

また、若いうちは大都市圏でより大きなスケールの仕事がしたいと野望を抱くのが普通だと思います。

しかし、弘法大師の言葉である「一隅を照らすものこれ国宝なり」の言葉に触れ開眼できたと思います。

この言葉の意味は、世の中の片隅を一人一人が照らすことにより世界は成り立っている。自分の置かれた一隅を懸命に照らす事は、とても尊く国の宝に匹敵するとの内容です。自分の人生経験より一隅とはまさに北陸地方、現在は石川県となります。

最後に孔子の言葉として、「三十にして建つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」とあり、今年50歳の誕生日を迎えますが、天命を知ったと言えるかも知れません。自分の出生を恨めしく思った時期もありますが、現在はそれを強みとし彼の地に生まれた事に大いに感謝しているこの頃です。

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