単身赴任 基礎編あとがき

昨年4月77歳になる父が永眠しました。本書でも述べましたが長く単身赴任生活を経て60歳で定年退職し、20年近く年金生活で悠々自適な生活を送りました。

最後の方は認知症がある程度進み自宅には居ましたが、母の助けを借りて何とか日常生活を送っている状態でした。

デーケアサービスに通いだした頃何度か自宅に居る時訪問しました。ほとんど横になってウトウトしている事が多く、トイレに行くにも時間がかかり難渋していました。

私が次男である事は解るのですが、訪問してきた事を忘れるようでウトウトして目覚めるたびに「おう、哲来とったんか」と繰返していました。

最後は夕食後寝ているときに心肺停止状態となり、病院に運ばれ蘇生を試みましがその甲斐も無く亡くなりました。

母親から連絡を受けて病院に急ぎましたが、到着した時はすでに息は無く白い布が顔を覆っていました。

その顔は穏やかで思い残す事はほとんど無く、息子から見て天晴れな人生だったと思います。

ある程度予期はしていましたが突然の訃報であり、顔にかかった白い布を悄然と見ながら何と人生は儚く呆気ないものかと感じました。

高校時代うつ状態の自分を支え大学進学に導いてくれた事、大学時代、兄、母も含め何度も一緒に飲んで盛り上がった事をぼんやりと考えていました。

また、認知症で母が手伝い何とか日常を送っている生活を見ていたので、人生において愛するパートナーが傍に居る以外に何が必要あるのかと思うと不意に涙が流れ思わず慟哭する自分が居ました。

父には心より感謝しています。

その様な事があり人生は短くやりたい事があれば、早く実現すべきであると言う思いが強くなり本書を執筆し始めました。

しかし、本書を執筆するに従い父が特に海外で単身赴任している時何をしていたのかほとんど知らない事に気づきました。

残念ながら今となっては知りようがありません。また、父は多くを語るタイプではなかったのですが、私としてはもっと知りたかったのも事実です。

そんな時、偶然スティーブ・ジョブスの伝記を読みました。筆者が末期に近くこれ以上取材が難しくなるジョブスに別れの意味も込めて、なぜ伝記を自分に依頼したかをジョブスに尋ねました。

するとジョブス曰く日頃忙しく自宅に帰る事もほとんど出来なかったが、僕が何をしていたのか、何に取り組んでいたのか、家族特に子供に知ってもらいたかったんだとの談。

その部分を読んで自分も金沢で単身赴任しているが、家族特に子供は、父親が何をしているか、私の父親と同様に何も知らないではないかと言う事に愕然としました。

その事もあり本書の執筆により単身赴任と言う事象を通して、父親がどの様な生活をしていたのか伝えたくもあり筆に力が入りました。

最後までお読み頂き誠にありがとうございました。執筆にあたり多大な協力をしてくれた妻と子供たちに心より感謝いたします。また、このブログを亡き父に捧げたいと思います。

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