小学校 単身赴任

続いて学校そのものについて論じていきたいと思います。まず、小学校について述べます。

子供の通っていた、小学校は入学当時荒れており、一部クラスでは学級崩壊がおこり、うつで休職する先生がいるくらいの小学校でした。

子供さんによってはその小学校に入学を避けるため、近くの違う学区、例えばおばあちゃんの所に住所を移し、違う小学校を通わせるほどの学校でした。

学校内の問題を先生方も解決したいところですが、京都市内は在日朝鮮人、同和問題等歴史的に複雑な問題が絡んでおり、そうすぐには解決できる問題ではありません。

先生に任せていては、子供が卒業するまで問題解決に至らなかったと思います。そこで、妻がPTAの役員となり、小学校と積極的にかかわるようになり、特に始業前の保護者による本の読み聞かせを始めました。

この読み聞かせが功を奏し、徐々に学校が落ち着きを取り戻していきました。

最初は妻一人位が読み聞かせをしていましたが、そのうち有志の賛同者が増え始め、多くの学年、クラスで読み聞かせをできるようになり、読む本は学年にあわせて保護者が選択していました。

学校は生徒と先生の関係だけでは二極化し、対立、マンネリ化、トラブルの潜在化を生みやすいですが、そこに保護者がかかわると第三者の視点が入り、先生もおざなりな対応ができません。

また、生徒においては保護者が連携することで、地域社会で子供を見守っていることを意識され、抑止力につながると思います。

学園物のドラマを見ていると、親が学校、子供に無関心というのが共通している事が見受けられます。親の無関心が子供の学校での態度を左右している可能性もあり、保護者が学校に関心があり、積極的にかかわる真摯な姿勢を見せれば、子供も自然とそれに従うのだと思います。

しかし、妻の姿勢、行動には脱帽です。孤立無援に近い状態より、小学校とかかわり、建て直しに大きく尽力した事は素晴らし事であり、感謝の念に堪えません。

そのうち保護者が積極的にかかわっている小学校ということで、教育委員会もおざなりにできず、指導力に優れた先生を赴任させる機会が増えました。

それまでは、中学受験で有名校へ進学する子供は皆無でしたが、子供が卒業するころには幾人も進学する子が出てきたほどです。

もちろん、そうなるまでには幾年もの年月が必要であり、平坦な道ではなかったことは言うまでもありません。

この妻の行動こそやり抜く力、グリットであり、子供たちもこの姿勢を見て育ち、よい影響を受けたと思います。

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