今回は金沢市にある、高山 右近の銅像を中心に語りたいと思います。場所は金沢市の中心地、香林坊より歩いて5分位のところにある、カトリック金沢教会の敷地内にあります。下記、写真にある様に表の入り口からは見えませんが、なかに入って行くと、写真の様に右側に鎮座されておられます。26年間金沢におられたことが明記されており、その銅像も晩年を思わせる風貌です。右手に聖書、左手は天を示し、多分金沢での布教活動をモチーフとした像だと思います。その表情は江戸時代初期のキリシタン弾圧に対して、断固として信念を貫く、意思の強さが伺えます。
写真を撮った日はあいにくの雨の日でしたが、その方がかえって銅像が生えて、また高山 右近の意思の強さが伝わると思い、あえて晴れの日に写真を取り直すのはやめました。銅像の脇にある、碑文には当時、茶人としても日本において第一人者であった、右近の庭の石、南坊石がおかれています。右近の茶人としての号が、南坊であった事に由来する名前だそうです。右近の人となりを伝える、貴重な興味深い場所です。また、2016年帰天より401年後にカトリックの福者に認定されたことが記されています。
史実によると、右近が江戸幕府による、キリシタン弾圧によってマニラに追放となりましたが、その同時代は大阪冬の陣、夏の陣が起こり、徳川と豊臣が勢力争い競う、世情不安定な時代において、右近は一貫して暴力によるキリストの布教には断固反対しました。大名から一信者へ身を落とし、流浪の末、金沢にたどり着き、その後においても金沢の安定した武士としての身分を捨て、信仰を守り抜きました。この信念の強さは日本人として誇りであり、是非、大河ドラマにして欲しいと思います。
中国、アメリカ、ロシアと大国が暴力による支配を強める時代に、非暴力を貫いた、右近の姿勢は日本人としてとても誇りに思いますし、今の時代の日本人の心の燈明となり、学ぶことが大きいと思います。キリスト教自体がローマ帝国の迫害を約400年間受けながら、世界の宗教として広まっていった大きな要因は、暴力による布教でなく、非暴力による布教が大きいと思います。この史実からも暴力に訴える姿勢はどこかで破綻が来る可能性が高いと思います。
石碑によると21世紀美術館に右近の邸宅があった様で、金沢城のすぐ近くにあり、いかに右近が加賀藩から重宝、信頼を得ていたかがわかります。金沢においても積極的な布教活動を行っており、その活動が非暴力であったから、これだけの信頼を加賀藩より得らたのだと思います。ちなみに銅像のある場所より21世紀美術館は、歩いて5分位の場所にあります。


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